2022年11月1日

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いつもどおりの朝でしたけど、なんと今日は工房を開いて丸10年、11年目に入った日なのです。せっかくなので何か書きます。文章はあとあと本人も、あーなるほどと思ったりすることがあるのです。

クツ教室で初めて自作のクツで歩き回って「なんて楽しいんだ」と思って15年、クツ学校で、工房の名は「注文靴 五十歩百歩」にしようとか同期と軽口を叩いて13年、近年は、「あなたはどうしてクツを作りたいのか、作って欲しいのか」という圧を発する謎の工房になっていたにもかかわらず、教室も長い人は8年、9年、どうして通ってくれているのだろう?と聞いたことはありませんが、日々のスパイスになっているのであれば、それは嬉しくありがたいことです。

さて1年ぶりに書いているわけですが、前回書いた内容について、なんと間抜けなことに数ヶ月前、今更気付いたことがあったのです。ここ2年くらい履いているワラーチのご利益なのかどうか、それはワタクシはクツを履かなくても歩けるということです。ワタクシの足は30年に渡る不摂生の結果であると思われる「外反足」で、「ほぼ治らない」と言われてばかりのトラウマなのか、クツでもってなんとかしてやろう、しなくてはという強い思い込みをいつの頃からか抱えていたことに気が付いておりませんでした。もう見られなくなってしまいましたが、師のホームページで引用されていた「知ることは感じることの半分も重要でない」(レイチェル・カーソン)という言葉を思い出し、瞬間、なーんだ妄想と戦っていただけなのかもしれない、と力が抜け、いそいそとまた木型をいじりだしたのでした。

というわけで、依然、興味の方位磁石はクルクルと定まらないものの、なんとなく心境に変化があったようです。「普段着がいちばん美しく、また美しくなければならない」という師匠の言葉、世の中がなんとなく危うい雰囲気になりつつある今、「なにやってんだ!」と散々怒られたことを思い出し、なにか大きな宿題があったりするのかなぁと考えている今日この頃でした。