2022年12月16日

なんでクツを作っているのか3

小鉢一つで、とても満足する料理もあるのに、どうして冷凍食品のチャーハンは一袋食べても物足りないのか。支払っている対価の問題もあるかもしれないが、それは例えば甘味料やら香料やらで、ぱっと口に入れた時には美味しく感じるが、実質の部分に何か不足があって、舌は誤魔化せても腹は誤魔化せないのではないか?よくできたPU(ポリウレタン)レザーの如く、見た目はなかなかの雰囲気があったとしても触っていて気持ちがよくない、みたいに、自然物とそのイミテーションの違いを身体はわかっているのではないか。そうなると、お手軽冷凍チャーハンはもしやバーチャル・チャーハンなのではないか。フェイクミートなんていうモノもでてきているけれども、そのうち脳を電気刺激でビリビリッとして、ステーキ美味しい! という腹の膨れない未来が来るのだろうか。食べ物は、それは身体をつくる材料ですから、半分バーチャルなチャーハンだとすると、お腹の満たされない感覚とともに、自分自身もそのようなものに侵食されて、空虚になってしまうのではないか、という漠然とした不安を覚えます。全体と部分は相似形というフラクタル理論に照らしてみれば、この上辺をてらったモノを許容することは、それが生きていることの実質、感覚を希薄にしてしまうのではないかと考えてしまうわけです。では、まがい物でない美味しいモノであればいくら食べても大丈夫なのかというと、何でも食べすぎたら病気になりますよね。果たして、クツに当てはめた場合、ものすごいフィット感のクツがあったとして、ものすごく歩きやすいクツがあったとして、それを履き続けたら、それは身体にとっていいことなのか。刺激が快感であるのなら、裸足でもタイヘンな刺激だし、人間は裸足でも歩けるのに、素足でないのは何でだろうか。ハイヒールの人がハンカチを落とすと、フラットヒールの人が落としたときよりも拾ってくれる人が多いとか、バーで一人、ハイヒールの人は、フラットヒールの人よりも声をかけられやすいとか、というような実験の話がありました。クツはただの武器なのか罠なのか?とりあえずコックが味音痴ではしょうがないので、身体の感覚を鋭く、センサーを磨けるだけ磨いていけば、いいクツができるのではないかと考えてもきましたが、心地よい刺激とは、ちょうどよい刺激とは一体何なのか。実はそんなことは二の次で、クツは漢字では「靴」、革へんに「化」と書きますので、革に化かされてるだけなのか、革で何かを化かそうとしているだけなのかと考えてしまいます。とりあえず、自分の手で作ってみたら、そのあたりの、何が盛られているとか、疑い深くなれるのであれば、それはいいことではないかと思うのです。