なんでクツを作っているのか

ずいぶん長いこと、自分でクツを作る意義について考えております。
実は同調圧力でクツは履かないといけないから、ということで作っているのかもしれないと、思わなくもない今日この頃です。

裸足で歩いていたら、石を踏んだら痛いし、クツは絶対履かないといけない。怪我でもしたら、バイキンが入って、最悪足を失うかもしれない。そうなったら周りに迷惑もかけるし、ほら、クツ履かないと。

まあ大抵の人はこんなのがクツを履く一番の理由にはなってないと思いますが・・・

だいたい歩くというのは、半分は倒れることで前に進んでいると言えなくもなく、なんとか倒れないように、足を交互に出して踏ん張っているわけです。たまには転ぶこともあるかもしれないし、転んで打ちどころが悪くて死んでしまうこともあるかもしれない。でもその時、もし履いているものがヒトの作ったクツであれば、文句の一つも言いたくなるかもしれないが、自分で作ったものであれば、諦めもつくというものです。

これも一般的な理由ではないかもしれないが、クツは自分で作るのが一番よかろう、ということに今日のところはしておこうと思います。

2021/9/15

足と靴の「神秘」の虜になっている件

気がつけば靴を初めて作った時から10年が過ぎているのではなかろうか。
たまたま家の近所に靴を作れる教室があったのがきっかけでしたが、それからこの道に進むことになったのは、思い返してみれば、靴は買うもの、足は靴に合わせるもの、という社会通念から自由になったのが、殊の外、楽しかったからです。

靴とは関係ない本(のつもりだった)を読んでいたら「靴を履く人にとって自然な歩行は物理的に不可能である」(ウィリアム・ロッシ博士※)という記事があるらしいことを知り、ただごとではないけどやっぱりそうだよね?と気になって、ネットで探してみたら、その文献も含めていろいろ見つけることができました。

その中で、「足と履物についての17の神話(作り話?)」というのがたいへん興味深く…全文翻訳して載せたいくらい。
17 Common Foot and Footwear Myths, by William A. Rossi. Footwear News (August 9, 1999).

博士は、履物産業は自ら作り出した17の神話(靴は足をサポートする必要があるとか、硬い地面が故障を引き起こすとか、ジャストフィットが最適とか、尖ったつま先の靴が不具合を引き起こすとかとか・・・)を、消費者に信じこませているうちに、自らもその神話を事実としてしまっていると言います。

How long will it continue? Forever. After all, who would kill the goose who lays the golden eggs?

それはいつまで続くでしょうか?永遠です。結局のところ、誰が黄金の卵を産むガチョウを殺すでしょうか。

So what better way of doing this than keeping the myths alive, so that we believe the myths as facts as much as we’ve trained consumers to do.

私たちが消費者に教え込んだのと同様、私たち自身も本当のこととして神話を信じ込んでいますが、これらの神話を生かし続けずにすむ良い方法はないでしょうか。

翻訳あってるかな?我が身を振り返り、どうやら10年前とは違う神話にとらわれているようなので、いたく反省することとなりました。願わくは、ありとあらゆる神話から自由になりたいものです。

※ウィリアム・A・ロッシ、「プロフェッショナルシューフィッティング―靴合わせのプロ」「エロチックな足―足と靴の文化誌」なんかを書いている人でした。

はだかの王様

たとえば誰かがこれは立派なお洋服ですだとか云っても、それはその人の見るところで、私の参考にならない事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受け売りをすべきものではないのです。人の意見を鵜呑みにしていてはいつまでたっても不安です。いったい私はそれがよいものであるとか、そうではないとか、どうやって判断しているのか、あるいは判断したらよいのか、己の立脚地を堅めるため、いや堅めるというより新たに建設するために、服でも作って足元以外から足元を考えてみよう、と思いました。

夏前、まずはじめに履いたことのない太いパンツはどんなものかと、麻の生地で作ってみます。軽い、涼しい。すばらしい心地よさです。もう一枚薄手のコットンがあったので、もういっちょ作ってみます。太めのパンツは暑い時によいなぁ、とてもいい具合です。調子に乗って薄めのデニムでも作ってみます。短パン用に用意していた生地なので丈が少し短く、この形状にしてはハリがありすぎて何かがおかしい。長さと太さのバランス、生地と形状のバランスは難しい、先の2本はまぐれ当たりだったかもしれない。調子こいてはいけない。
次に、下半身太めならAライン?シャツは細身で作ってみます。ひとつめは生地が厚くて重かったので冬まで放っておくことにします。夏ならやっぱり白い麻。白シャツは何枚かあるので、スタンドカラーにしてみるもしっくりこない。丸襟に交換してみてもピンとこない。なのでもう一着。やっぱり襟は普通の、でも生地は大事というところで、生地を探して、よーし、なかなかよいのができたのではなかろうか。
涼しくなったらワークジャケットみたいなのがあるとよいなと、ヴィンテージものの画像を参考にしたりして、ヒッコリーデニムで作ります。結構暖かい。気温が20度切ってもバイクでも大丈夫。いろいろとちょうどよろしい。

そんなこんなで、余った生地で帽子も作って、何とも知れないものを着せられるよりは確からしいものがあるでしょう?とルンルン気分でいたものの、後日、新しく出来た蔦屋書店にいってみるとヴィンテージワークウェアの本が何冊もあって、なーんだ、知らぬうちに時流に乗せられていただけなのか、自由意志というのはやっぱり幻想なのかしらんと、少しあやふやになってしまいます。

そんなところにZ○Z○SUITのニュースが飛び込んできて、未来が垣間見えたような気がして即注文してしまった。一月たつけどまだ届かない。