2021年9月21日

なんでクツをつくっているのか 2

福岡の須崎公園で、行政側が一方的に進めようとしているように見える、樹齢60,70年の木の大部分が切られてしまう市民会館の工事計画があります。8月にそのシンポジウムがあって聞きに行ってきました。そこであった根本的なところの話で、日本は国家予算の半分が建設業に回っていると言われてました。そりゃあ工事をしないわけにはいかない訳です。思い出してみれば、長良川河口堰、諫早湾干拓、福岡アイランドシティのケヤキ・庭石事件とか他にもいろいろ、今回のバリエーションでしょう。千と千尋の神隠しでカオナシという妖怪の要求に応えてたらキンが貰えるからどんどん要求に応えて最初はみんな大喜びするが、しまいには人まで飲み込みだして大わらわ、というシーンがありますが、今の社会が表現されているのではないかと思ってしまいます。行政側の不誠実な対応の話もあって、人間の特性を利用した資本主義というシステムは、カオナシのように、地球環境だけに飽き足らず、人間の良心までをも飲み込んでいってしまっているように見えます。残念なことに須崎公園はそのシステムによって壁で囲われてしまいました。

人間は自然が自然らしくしているのが嫌いなんでしょうか。靴にしたって足を覆って見栄えがどうとか、歩き心地がどうとかこうとかやっているわけです。地面をコンクリートだらけにしたり、遺伝子をいじって栄養がどうとかいう野菜を作ったり、なにかせずにはいられないという業。そういう物事が積み上がってあらぬ方向に向かわないようにするには、いったいどうしたらいいのでしょう。「足とクツのいい関係」、師であるモゲさんがよく言っていた言葉です。これを「自然と人工物とのいい関係」と言い換えてもいいでしょう。どうバランスをとったらいいか常に考えてないと危ういのです。自分でクツを作る教室は、「足とクツのいい関係」だけでなく、いろんなものごとのバランスを考えるきっかけにもなったら嬉しいなぁという下心が実はあります。カオナシは最後、静かに糸車で糸を紡いだり編み物したりしています。手づくりで身体を使うというリアリティが、苦団子(カオナシが食べたら元の状態に戻った)になってくれるのではないかという希望的観測を抱いているのです。