なんでクツをつくっているのか 2

福岡の須崎公園で、行政側が一方的に進めようとしているように見える、樹齢60,70年の木の大部分が切られてしまう市民会館の工事計画があります。8月にそのシンポジウムがあって聞きに行ってきました。そこであった根本的なところの話で、日本は国家予算の半分が建設業に回っていると言われてました。そりゃあ工事をしないわけにはいかない訳です。思い出してみれば、長良川河口堰、諫早湾干拓、福岡アイランドシティのケヤキ・庭石事件とか他にもいろいろ、今回のバリエーションでしょう。千と千尋の神隠しでカオナシという妖怪の要求に応えてたらキンが貰えるからどんどん要求に応えて最初はみんな大喜びするが、しまいには人まで飲み込みだして大わらわ、というシーンがありますが、今の社会が表現されているのではないかと思ってしまいます。行政側の不誠実な対応の話もあって、人間の特性を利用した資本主義というシステムは、カオナシのように、地球環境だけに飽き足らず、人間の良心までをも飲み込んでいってしまっているように見えます。残念なことに須崎公園はそのシステムによって壁で囲われてしまいました。

人間は自然が自然らしくしているのが嫌いなんでしょうか。靴にしたって足を覆って見栄えがどうとか、歩き心地がどうとかこうとかやっているわけです。地面をコンクリートだらけにしたり、遺伝子をいじって栄養がどうとかいう野菜を作ったり、なにかせずにはいられないという業。そういう物事が積み上がってあらぬ方向に向かわないようにするには、いったいどうしたらいいのでしょう。「足とクツのいい関係」、師であるモゲさんがよく言っていた言葉です。これを「自然と人工物とのいい関係」と言い換えてもいいでしょう。どうバランスをとったらいいか常に考えてないと危ういのです。自分でクツを作る教室は、「足とクツのいい関係」だけでなく、いろんなものごとのバランスを考えるきっかけにもなったら嬉しいなぁという下心が実はあります。カオナシは最後、静かに糸車で糸を紡いだり編み物したりしています。手づくりで身体を使うというリアリティが、苦団子(カオナシが食べたら元の状態に戻った)になってくれるのではないかという希望的観測を抱いているのです。

なんでクツを作っているのか

ずいぶん長いこと、自分でクツを作る意義について考えております。
実は同調圧力でクツは履かないといけないから、ということで作っているのかもしれないと、思わなくもない今日この頃です。

裸足で歩いていたら、石を踏んだら痛いし、クツは絶対履かないといけない。怪我でもしたら、バイキンが入って、最悪足を失うかもしれない。そうなったら周りに迷惑もかけるし、ほら、クツ履かないと。

まあ大抵の人はこんなのがクツを履く一番の理由にはなってないと思いますが・・・

だいたい歩くというのは、半分は倒れることで前に進んでいると言えなくもなく、なんとか倒れないように、足を交互に出して踏ん張っているわけです。たまには転ぶこともあるかもしれないし、転んで打ちどころが悪くて死んでしまうこともあるかもしれない。でもその時、もし履いているものがヒトの作ったクツであれば、文句の一つも言いたくなるかもしれないが、自分で作ったものであれば、諦めもつくというものです。

これも一般的な理由ではないかもしれないが、クツは自分で作るのが一番よかろう、ということに今日のところはしておこうと思います。

2021/9/15

足と靴の「神秘」の虜になっている件

気がつけば靴を初めて作った時から10年が過ぎているのではなかろうか。
たまたま家の近所に靴を作れる教室があったのがきっかけでしたが、それからこの道に進むことになったのは、思い返してみれば、靴は買うもの、足は靴に合わせるもの、という社会通念から自由になったのが、殊の外、楽しかったからです。

靴とは関係ない本(のつもりだった)を読んでいたら「靴を履く人にとって自然な歩行は物理的に不可能である」(ウィリアム・ロッシ博士※)という記事があるらしいことを知り、ただごとではないけどやっぱりそうだよね?と気になって、ネットで探してみたら、その文献も含めていろいろ見つけることができました。

その中で、「足と履物についての17の神話(作り話?)」というのがたいへん興味深く…全文翻訳して載せたいくらい。
17 Common Foot and Footwear Myths, by William A. Rossi. Footwear News (August 9, 1999).

博士は、履物産業は自ら作り出した17の神話(靴は足をサポートする必要があるとか、硬い地面が故障を引き起こすとか、ジャストフィットが最適とか、尖ったつま先の靴が不具合を引き起こすとかとか・・・)を、消費者に信じこませているうちに、自らもその神話を事実としてしまっていると言います。

How long will it continue? Forever. After all, who would kill the goose who lays the golden eggs?

それはいつまで続くでしょうか?永遠です。結局のところ、誰が黄金の卵を産むガチョウを殺すでしょうか。

So what better way of doing this than keeping the myths alive, so that we believe the myths as facts as much as we’ve trained consumers to do.

私たちが消費者に教え込んだのと同様、私たち自身も本当のこととして神話を信じ込んでいますが、これらの神話を生かし続けずにすむ良い方法はないでしょうか。

翻訳あってるかな?我が身を振り返り、どうやら10年前とは違う神話にとらわれているようなので、いたく反省することとなりました。願わくは、ありとあらゆる神話から自由になりたいものです。

※ウィリアム・A・ロッシ、「プロフェッショナルシューフィッティング―靴合わせのプロ」「エロチックな足―足と靴の文化誌」なんかを書いている人でした。