はだかの王様

たとえば誰かがこれは立派なお洋服ですだとか云っても、それはその人の見るところで、私の参考にならない事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受け売りをすべきものではないのです。人の意見を鵜呑みにしていてはいつまでたっても不安です。いったい私はそれがよいものであるとか、そうではないとか、どうやって判断しているのか、あるいは判断したらよいのか、己の立脚地を堅めるため、いや堅めるというより新たに建設するために、服でも作って足元以外から足元を考えてみよう、と思いました。

夏前、まずはじめに履いたことのない太いパンツはどんなものかと、麻の生地で作ってみます。軽い、涼しい。すばらしい心地よさです。もう一枚薄手のコットンがあったので、もういっちょ作ってみます。太めのパンツは暑い時によいなぁ、とてもいい具合です。調子に乗って薄めのデニムでも作ってみます。短パン用に用意していた生地なので丈が少し短く、この形状にしてはハリがありすぎて何かがおかしい。長さと太さのバランス、生地と形状のバランスは難しい、先の2本はまぐれ当たりだったかもしれない。調子こいてはいけない。
次に、下半身太めならAライン?シャツは細身で作ってみます。ひとつめは生地が厚くて重かったので冬まで放っておくことにします。夏ならやっぱり白い麻。白シャツは何枚かあるので、スタンドカラーにしてみるもしっくりこない。丸襟に交換してみてもピンとこない。なのでもう一着。やっぱり襟は普通の、でも生地は大事というところで、生地を探して、よーし、なかなかよいのができたのではなかろうか。
涼しくなったらワークジャケットみたいなのがあるとよいなと、ヴィンテージものの画像を参考にしたりして、ヒッコリーデニムで作ります。結構暖かい。気温が20度切ってもバイクでも大丈夫。いろいろとちょうどよろしい。

そんなこんなで、余った生地で帽子も作って、何とも知れないものを着せられるよりは確からしいものがあるでしょう?とルンルン気分でいたものの、後日、新しく出来た蔦屋書店にいってみるとヴィンテージワークウェアの本が何冊もあって、なーんだ、知らぬうちに時流に乗せられていただけなのか、自由意志というのはやっぱり幻想なのかしらんと、少しあやふやになってしまいます。

そんなところにZ○Z○SUITのニュースが飛び込んできて、未来が垣間見えたような気がして即注文してしまった。一月たつけどまだ届かない。

 

ミンゲイ?

クツ学校の初日に見たドキュメンタリーがネット上で公開されているのを見つけて、いろいろ気になって何回か見直していた矢先に(「ミンゲイソタ ミネソタの陶工、ウォレン・マッケンジー」
ひょんなことから、柳宗悦、バーナード・リーチも訪れたという小鹿田の1960年代の映像(なくなっちゃった・・・)があることを教えてもらう。いったいミンゲイというのはどういうコトなのか、ずっと気になっているのです。

そして細野晴臣のラジオ番組Daisy Holiday!を聞いてたらゲストが中沢新一。
ポケモンの話から始まって、ゲームは自然力の化身であるポケモンとの交流であり、エネルギーについて考えだすと「核」にたどり着く人間の脳の必然性とか、そういったことも含めて自然との調和がテーマになっているんじゃないかという、深読みしすぎとは言ってたけど・・・興味深い。
これは少し脱線。

で、中沢さんはどういう人なのか調べていたら、レヴィ=ストロース「野生の思考」にたどり着き、ミンゲイソタでピンときてなかったところが説明されてしまった。

ブリコラージュとポイエーシス。

「ブリコラージュ」 ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作ること
「ポイエーシス」 あるものを自分の目的のために変形して使うのでなく、その物の中にすでに存在する形を外に取り出す

作る人、作られるモノ、使う人、環境、が円満な仕組み=ミンゲイ?
ブリコラージュとポイエーシスが、肝だとすると妙に納得。

わざわざ外国産の革やらなんやら使っている身としては、ありあわせと言っていいのかというところはあるけれど、なんとかその境地に辿り着く方法はないものかと考えています。